思ったことノート

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19世紀のファッションと ミシェル・マールブランシェ

 

本文は2018/5/3にあなぐら図書館様より発行されたSH/LH考察アンソロジー「-HisStory:Restart-」に寄稿したものに修正と加筆をした内容です。

拙い文章ではありますが簡単な読み物としてでもお楽しみいただければ幸いです。

 

初めに

Sound Horizonの作品においてミシェルというキャラクターの存在は非常に特異に思える。

5th story CD「Roman」や9th story CD「Nein」でもその存在が仄めかされているしそもそも同人時代から作成されている所謂「檻3部作」から謎が多く、彼女が何者なのか、檻とは何なのかという論争は曲の発表以降今まで絶えることがない。

 今回、私がご紹介したいのは、ファッションからみる彼女が生きた時代の話である。本文を掲載させていただくのは「考察」アンソロジーだが、ここではあまり考察らしい考察は行っていない。しかし、これをその時代の人たちがどのように考え生きたのかの参考にしていただき、読者の考察が深まれば幸いである。

 

1.19世紀という時代

 

 檻の中の花で明らかになっている年号は3つ。簡単に整理してみると初舞台の1887年、二度目の舞台が1895年、三度目にして最後の舞台は1903年と読み違えでなければこれらは彼女の犯罪歴であり、おそらく生身のミシェルが生きた時代と思われる。

 ファッションから見る19世紀の特徴は流行のサイクルの激しさと浸透率だ。

よく西洋ファッション史とはシルエットの歴史だと言われるが、19世紀はそのシルエットが10~20年で変化している。いまいちピンとこないかもしれないが、それまでは50~100年とシルエットが変化しないのは普通だったと思うとこれは驚異的なスピードなのである。加えて、それまで最先端ファッションはサロンに集う貴族階級のものだったのがフランス革命を境にブルジョワジーや高級娼婦(女優)などファッションリーダーが多様化していった。19世紀半ばには既製服が定着し、敷居が下がったモードファッションは下層の階級まで行き渡るようになったのだ。このように100年間でファッションの流行の仕組みは急激に現代的になったのである。

 以上を踏まえてミシェルがどのような身分であったとしても、19世紀末、女性モードの発信地フランス・パリから鉄道の通ったルーアン近くまでの間で生活拠点を持っていたとすれば、当時の雑誌や資料の服装とほぼ同じスタイルのものを限りなく少ない時差で身に着けられたのではないだろうか。その中で1887~1903年に当てはまるスタイルは大きく「バッスルスタイル」と「アール・ヌーヴォー風ドレス」の2種であるが、ミシェルが1887年時点で少女だった事と屋根裏部屋に監禁されていたらしい事から、ここでは1890年代から流行したアール・ヌーヴォー風ドレスを中心に述べていく。

 

2.魅惑のウエス

 

    

 アール・ヌーヴォーとはフランスを中心に広まった芸術運動・様式である。虫や花、植物柄の曲線的で優美なイメージが特徴的であり、アルフォンス・ミュシャのグラフィックやグスタフ・クリムトの絵画と言えば比較的誰にでもイメージしやすいのではないだろうか。

 具体的にアール・ヌーヴォー風ドレスとはどのようなものかというと、袖のボリューム等ディテールの差は多少あるものの共通しているのがバストとヒップを大きく張り出し、コルセットでウエストをしっかり絞ったS字ラインが特徴的なスタイルである。この時代においてバストとヒップの際立たせるための細いウエストは非常に重要なポイントで、それもあってか19世紀末は新型のコルセットの競争が激化した超コルセット時代でもある。

 ここでいうコルセットは現代のファッション性の高い、どちらかというとビスチェに近いものや(※但しお金のかけられるブルジョワジー等に関してはロココ時代の貴族のように可愛らしいものを用途によって何着も持っていたようだが)医療用のものとは違い下着の意味合いが強いものだ。ウエストを細くする、姿勢を矯正するといった目的の他に胸を支える役割もあり、現代で言えばウエストニッパーとブラジャーのような役割をしていた。このコルセット自体はずっと存在するものなのだが、この時代の進化で特筆すべき点は細くなるウエストである。コルセットの素材や機能が徐々に快適化する中、理想のウエストはどんどん細くなり、それに伴って支えるためのボーンと呼ばれるパーツが増えた。結果的に身を屈める事も不可能になったと言われる彼女達の理想のウエストは17~18インチ。センチメートルに換算すると42~45センチ程だった。それを目指してコルセットでウエストを締めた結果、女性たちは内臓の位置を歪め、肋骨の変形を起こした。恐ろしい話だが、中にはそれ原因だと思われる死亡事故もあったといわれている。当然健康を害するとの指摘は当時から存在していたが一方で太いウエストは粗野であるという価値観があったり、コルセットで姿勢を正す事自体は良いとされたりで論争は絶えなかったようだ。

 

3.コルセットは枷か、狂気か

 

 なぜそこまでしてウエストを細くする必要があったのか。理由を挙げればきりはないが、ある意味それが求められた女性像であるからという一言に集約できるのではないだろうか。

 女性を権力や財力の証として、道具として扱う事はこの時代の前から今まで珍しい話ではない。一昔前までは嫁は外で労働をせず専業主婦になるのが当たり前という考え方が一般的だったように、どうやら19世紀前半から裕福な男性が嫁や娘を完全に養う事はステータスだとする考え方が存在したようなのだ。コルセットはとても労働には向かない代物である。旧身分制度の時代、貴族はコルセットを付けたが、畑で働く農婦が付けなかった歴史にならって、この時代もコルセットは働かなくても良い「育ちの良い女性」の証明だった。こうしてコルセットという枷で家庭に繋がれた女性達は良き妻や、良き娘、家庭の天使であることが求められたのである。

 だが、19世紀半ば以降になると、コルセットはこれら以外の意味合いが強かったと言われている。この頃になると女性が外に出る機会はうんと増えており、スポーツや旅行をする事もある程度下の階級まで定着しつつあった。しかし、前述しているようにコルセットは特に運動することを想定していない。屋外で歩きまわったり、ましてはスポーツをするなど普段以上に苦しい事のはずなのだが、なんと彼女らはコルセットを外す事をほとんどしなかった。むしろどんな場面でもコルセットを付けられるように、旅行用、サイクリング用、水泳用と、用途別のコルセットが存在した程である。ここまでくると、男性に求められた域をこえて彼女らが自分たちの美的感覚に基づいて、何としてでもコルセットを着用し、ウエストの細く、美しく見せたいと躍起になっているように見える。女性達による理想の追求はいつの時代も狂気を生むのである。

 

4.ジャポニスムと解放

 

 コルセットを手放さなかったとはいえ、それを緩ませてリラックスする事がなかったかというとそうではない。就寝時は就寝用の比較的柔らかい素材のコルセットが存在したし、自宅の室内ではティーガウンと呼ばれるゆったりしたつくりのドレスを着用し、コルセットを緩める事ができた。このティーガウンはヨーロッパを巻き込んだジャポニスム人気影響をうけて着物の生地や菊などの和風のモチーフが用いられる事が多く、また着物そのものをティーガウンとして着用する事もあったらしい。当時のヨーロッパの絹は自立しそうな程固く、またそれを染める化学染料についても日本の繊細なそれとは程遠かった為、柔らかく美しい日本の絹織物は大変肯定的に受け入れられたのである。つまり一見日本とは関係なさそうなミシェルも日本風の柄や生地でつくられたこのティーガウンを持っていた可能性があるのだ。

 さらにこのジャポニスム旋風はコルセット衰退劇にも一役買う。ミシェルの没年である1903年、ポール・ポワレというデザイナーが自身のメゾンを立ち上げる。彼は日本などのオリエンタルなモチーフや古代ギリシャ風のドレスを好み、まずはその年に着物風コートを、その後1906年にローラ・モンテスと呼ばれるコルセットを使用しない肩支点のドレスを発表し、世の中は徐々にコルセットをしないスタイルが受け入れるのである。後にコルセット復活の動きはあるものの、ひとまず女性たちはコルセットの殻から解放されたのだった。

 

5.19世紀ファッションとミシェル・マールブランシェ

 

基本的にどの国、どの時代でもファッションの流行にはある程度の合理性があるのだが、流行の仕組みの変化や時代そのものの変化でそれが著しく欠けてしまったのが19世紀末ファッションのもう1つの特徴だ。女性たちは外に出たいのに美しさを求めるが故に枷が外せない。私は具体的にどこがという訳ではないのだが、妙にミシェルがこの時代にいたことに納得してしまう。ジレンマの時代。貴族的なモードから現代的なモードに急激に変化していく中でできた歪の時代。これがもし意図しない所にあるとすれば、それはRevo氏が19世紀末について調べ上げ、その空気感を具に感じ取った証なのだろう。

彼女は何を思ってこの時代を生きただろうか。どんな思いで毎日コルセットを身に着けただろうか。帰宅し、家の中でくつろぐ時間に日本風のガウンを羽織りながら、遠い東のコルセットを着ける文化のない国に何を思っただろうか。その解釈は自由である。

 

 

 

 

 

アール・ヌーヴォー期のドレス

オ・ボン・マルシェのカタログ 1903年

(宮後 年男『ベル・エポックの百貨店カタログ』アートダイジェスト 2007年)

 

◇ポール・ポワレのモデルの行進

リリュストラシオン誌 1910年 7月9日号 写真=マニュエル

(深井 晃子『世界服飾史』美術出版社 1998年)

 

(2023/9/30 加筆修正)